▼
昔チラ読みしたまま終わってた表題の本を再読。
こういうエントリはもっと増やしたいなー。
ちょっと古い本で、仮説も多く荒削りだと自ら書いてある内容ですが、なかなかに面白い。
下の引用は本筋とはあんまり関係ないけどある種の的確さがあって面白かったので紹介。
二〇〇三年の衆議院選で流行語になった「マニフェスト」(manifesto 宣誓書、声明書)には
F音が入っている。
そう、あの「ふんわりした」「ものごとを霧散させて非現実にしてしまう」
サブリミナル・インプレッションを持つこのF音である。
私自身はこのカタカナ語を採用した政党を信用することが出来なかった。それは、
主にF音のためだったのだと思う。
すっきり政党公約と呼べば、信頼のS音と清潔なK音が、その覚悟の程を知らせてくれる。
意味だって、日本語のほうが明確だ。
なのに、あえて「マニフェスト」を使った。奇をてらってカッコつけた以上の何かを
感じずにいられない。
使い手の潜在意識には、「マニフェスト」なら「霧散して非現実になっても許してくれる」という
甘えがあったのではないだろうか?
なぜなら、F音に先んじて私たちの脳に届くM音は、幼児がおっぱいを含むときの音、つまり
非常に女性的な音なのである。
それに続くN音も肌の密着感を表し、同様の性質を持っている。
「おねぇさまぁ、ボクのお約束は、ちょっと守れないかもしれない」という声が聞こえるようだ。
◆『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか(黒川 伊保子/新潮新書)』60p
某国では、マニフェストを破ることは政権を降ろされてもしょうがないくらいの失態で、
それだけの厳格さと重みのあるものだそうですが、日本では単なる風呂敷扱いですね。
語尾に(笑)がよく似合うことw
で、本書ですが、表題について語られている部分は実はごくわずかで、本書の多くは
ことばがもつ「意味」ではなく、ことばがもつ「音」が我々にどういう影響を与えるか、という観点における
さまざまな考察と判例の紹介、および体系化が主な内容を占めています。
なぜ世界中の多くの幼児が「ママ」や「マミー」などM音で母を呼ぶのか(そして「ハハ」はなぜそうではないのか)、
「ヒミコ(卑弥呼)」はなぜ「キミコ」ではいけないのか、
「ファンタジー」という語が日本で定着する一方で、訳語がなぜ定着しにくいのか、
タヌキとキツネでは、なぜキツネの方がずるく賢いイメージがあるのか… 等々、
著者の提唱する「ことばのイメージ」論から独自の考察が展開されています。
個々のことばを感情的な印象から帰納的に分類しているといった内容ではなく、
ことばを構成する音(K、T、S、H、N、M、R、G、B、Z、D、A、I、U、E、O、Y、W、…)の響きが
それぞれなぜそのような印象を与えるのかという点を、
ことばの出発点である喉、口腔のつくりや音の発せられ方、音の速さ、温度、湿度など
さまざまな角度から考察されています。
信憑性の程がどの程度なのか知りませんが、ことばが持つ「音」がどういう側面を持ちうるのかに対する
さまざまなアプローチのしかたが個人的に面白く、なかなかに興味深い一冊でした。
1~2時間程度で読了できる文量なので、興味のある方は手にとってみるのもいいかもしれません。
▼
新しいケータイとノートPCについて。
以前twitterで、iPhoneとVAIO type Xについて自分には合わない、と結論を出したはずなのに
なんだかんだで結局このふたつへの物欲がまた高まっていたり。
気に入らない点はあるていど使い慣れればたぶん解消されていくものなんでしょうが、
自分を道具に合わせるというのはどこか本末転倒な気がしていて
もにょもにょ具合が止まりません(´・ω・`)
あまり自分のスタイルを固めすぎてもそれはそれでよろしくないのですが。。
しかしここはどうにかもう少しガマンしたいところ。
こういうガジェット系はそれでなくても購入時期が難しいところですが、
今の転換具合では後悔をする公算が高いとの心の声に従うことにします。
iPhoneはともかく、typeXは待て… 待つんだ…!
もう少し…っ! せめてもう半年…っ!! (ざわ…ざわ…