
ひたすら適当なラフ絵。
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GENOウイルスが怖いのでjavascriptが使えません><
昨今ウイルスがここまで猛威を振るうのはめずらしいなあ。
あれですか。ニコ厨涙目というやつですか。
上にも特設記事のっけてますが、現時点でワクチンが存在しないとのことなので
一度くらったらクリーンインストールしか手がないようです。
ネットもリアルもパンデミック★ 地球\(^o^)/オワタ
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コンシェルジュ(16)とアオイホノオ(2)をゲット。
今月は買うまんがの発刊が少ないのでちょとさびしい。
アオイホノオは相変わらずの島本節。
コンシェルジュは安定してネタのレベルが高いですが、ここのとこ若干安定しすぎな感なので
もう少し大枠な波乱が欲しいところ。
この巻の「発想の転換」という回のなかに、”情報のない情報が大切”というセリフがありました。
お客様にお店をオススメする際には、実際に行ってみてチェックする必要がある、という話の流れで、
上司が「経費がかかりすぎる。ガイドブックやネットの情報で十分だろう」とたしなめようとします。
そこで担当者は、実際にお店に上司を連れて行くことで
なぜ実際に足を運んでみる必要があるのか、ガイドブックやネットにない”情報のない情報”が
なぜ必要なのかをわからせようとします。
続きは
webコミックスでどうぞ。
で、この話を紹介したのは、
小林よしのりの新ゴーマニズム宣言(15)で上の話と似た内容の話があったのを思い出したのと、
最近読んだweb記事でも似たような話をみかけたこと。
(web記事は
こちら)
ゴー宣の方はちょっと長くなるが、一部引用しよう
【~前略】
父が他界して初めてのお彼岸だということで、
親戚の一人がおはぎを作って持って来てくれた。
その厚意はありがたいのだが…
気になったのは、おはぎの作り方(今風に言えばレシピ?)をインターネットで調べたという。
ネットの中に「お婆ちゃんの知恵袋」というのがあるらしい。
そこには完璧なおはぎのレシピが書いてあるという。
【~中略~】
一瞬にしてわしは「そんな馬鹿な!」と感じてしまう。
「お婆ちゃんの知恵」というのは、普通、お婆ちゃんから娘へ、
そして孫へと伝わっていくものだろう。
せいぜい親戚や、よほどお婆ちゃんに気に入られた女たちが継承していくものだったはずだ。
それが近頃じゃ、インターネットではるか遠隔地の他人へ、
ひょっとしたらロシアのおっさんにまで伝わることもありうる状態になったわけだ。
そんなものは「お婆ちゃんの知恵」だろうか?
間違いなくこれは「お婆ちゃんの情報」である。
こう言っても多分、今のITな人々にはピンと来はしまい。
「情報」と「知識」、あるいは「知恵」の区別もわからないのだろう。
【~中略~】
インターネットの中のお婆ちゃんの「情報」で作ったおはぎは、
甘さ控えめで、あずきの味が鮮明で一応旨かった。
ただそこに「人格」を感じない。
「匿名」の優等生の味の見本があるだけだった。
それはもはや、「お袋の味」でもなければ「お婆ちゃんの味」でもない。
ようするに、記憶(心)に刻まれる「オリジナリティ」がないのだ。
インターネットで誰もが手軽に「おはぎのレシピの正解」を探し出し、
個別性も個性もない普遍的な味へと転化してしまうグローバリズムの時代。
各過程に代々伝わるおはぎの味という多様な個性が徐々に縮小され消滅していく。
そして大多数の人々が正解とする「世界標準のお婆ちゃんの味」に収斂されていく。
なんて平板な情報化社会だ!
料理を作らず、子供にコンビニ弁当を食べさせている主婦よりも、
ネットのレシピで料理する主婦のほうがはるかにえらいのは確かである。
だが本物の味の知識は秘伝である。
本物の知識は秘匿される。
公開した途端に「情報」となるのだ。
インターネットの便利さで「情報」の恩恵に与った者は、
それで世の中を知ったつもりで人様をなめているが、
土壇場で実力を発揮する「知恵」は何一つ身についてないことをいずれ知るだろう。
【後略~】
※引用元の文字強調などについては省略。
「情報」「知識」「知恵」の定義については諸氏異論もあるだろうけどここではさておくとして。
「情報」が役に立たないというわけではないし、とっかかりとしては必要十分なものではあるけれども
それを活かす知識なり知恵なりがないとね、というお話。
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アニメハルヒ2期ほぼ確定ですかね。
消失まわりもっぺん読み直すかー。