
ステップ3。
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その3。
背景に適当にディティールを加えて画面の密度を確認。
近代風のビル群とかいいながら超レトロちっくな件。あとでどーにかする予定。
リンツくんのポーズや建物のパースはいろいろと調整してみたものの
バランスが悪くなったもんで結局前回からほぼ変わらず。
前回からあんまり変わってねえな。
もう何回かはクリンナップ前調整が続く予定。
ここを念入りに調整してやるとあとが楽になる(はず)。
次回は色をもう少し詰めよう。
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P・F・ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読了。
ドラッカーおもろいです。
ぎっしり文字が詰まってるもんで、ラノベ脳なデェタの頭にはなかなかすんなり
読みすすめられなかったんだけど、書いてあることが的確でいろいろとためになりました。
一切の希望的観測や心理的陥穽の罠を爬虫類じみた冷徹さでばっさばっさと切り分けていく(失礼)様は
見ていて痛快。
せっかくなので、本文から引用をいくつか。
言いかえるならば、成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。
そして習慣的な能力は、常に修得に努めることが必要である。
習慣的な能力は単純である。あきれるほどに単純である。七歳の子供でも理解できる。
掛け算の九九を習ったときのように、練習による修得が必要となるだけである。
「六、六、三六」が、何も考えずに言える条件反射として身につかなければならない。
習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。
◆Part2 2章 なぜ成果があがらないのか」81p
一つは、人は、何によって人に知られたいかを自問しなければならないということである。
二つめは、その問いに対する答えは、歳をとるにつれて変わっていかなければならないと
いうことである。成長に伴って、変わっていかなければならないのである。
三つめは、本当に知られるに値することは、人を素晴らしい人に変えることであるということである。
◆「Part3 1章 私の人生を変えた七つの経験」107p
誰でも、自らの強みについてはよくわかっていると思っている。
だが、たいていは間違っている。
わかっているのは、せいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い。
しかし何ごとかをなし遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。
できないことによって何かを行うことなど、とうていできない。
◆「Part3 2章 自らの強みを知る」112p
ラストもいっちょ。
成長のために偉大な能力を持つものはすべて、自分自身に焦点を合わせている。
ある意味では自己中心的であって、世の中のことすべてを成長の糧にしている。
◆※「Part5 3章 何によって憶えられたいか」234p
この本はあとでもう一度じっくり読もう。
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今週のWJと今月創刊のゲッサンで奇しくも水滸伝をモチーフにしたマンガが新連載。
WJの『アカボシ』を描く天野洋一氏は『OVER TIME』以来の連載ですかね。
絵があいかわらずきれい。気合入ってるなぁ。
話のほうはこれなんて新○行御史? と思ってしまったのは内緒だが(隠してねぇ
先週から始まった『めだかボックス』もそうだけど、
作画はすばらしいし、話のテンポも内容も悪くない。演出だって気合十分。
なのに、なにかどこか心が躍らないのは自分が歳をとったせいかしらん。
サプライズが弱いという言いかたはできるし、その理屈で納得してしまいそうにもなるけれど、
頭のななめ後ろあたりから「そうじゃねえ!」と警告を放つ声が聞こえる。
うまく言葉にできないけど、なんだろう、決定的に何かが足りない。
仏作って魂入れずとかそんな感じ。技術の問題ではないのだろう、と思う。たぶん。
えらそうなことぬかしててごめんなさい。ぶっちゃけ続きは楽しみです。
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Project TRICO ktkr。
これはよいICO+ワンダ。